名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)357号 判決 1982年9月29日
控訴人
長田ゆみ
右法定代理人親権者父
長田豊
母
長田早苗
控訴人
長田豊
控訴人
長田早苗
右三名訴訟代理人
平田省三
同
伊藤宏行
被控訴人
社団法人日本海員掖済会
右代表者理事
河毛一郎
右訴訟代理人
後藤昭樹
同
太田博之
同
立岡亘
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は控訴人長田ゆみに対し金一五五〇万円、控訴人長田豊及び控訴人長田早苗に対し各金二二〇万円並びに右各金員に対する昭和五〇年三月二八日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人らその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その三を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。
この判決は、控訴人ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人長田ゆみに対し金四一〇五万〇三二八円、控訴人長田豊及び控訴人長田早苗に対し各金五五〇万円並びに右各金員に対する昭和五〇年三月二八日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに金員支払部分につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「本件控訴をいずれも棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は、次に付加する外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し、原判決一三枚目表一〇行目の「山蔭眼科集談会」を「山陰眼科集談会」と、同二〇枚目裏四行目の「過程」を「過度」と、同二八枚目裏一〇行目及び同三〇枚目表一行目の「出産」をいずれも「出生」と、同三四枚目表七行目の「未熟児」を「未熟性」と、同四五枚目表八行目の「よろず相談所病院」を「よろづ相談所病院」と、同六一枚目表七行目の「専問的研究者」を「専門的研究者」とそれぞれ改める)。
(控訴人ら代理人の陳述)
一 未熟児貧血について
1 未熟児網膜症の発症をもたらす原因としては、酸素の外に、未熟児貧血があげられる。即ち、名古屋市立大学眼科馬嶋昭生によると、赤血球数二五〇万以下の場合の本症発症率は71.6パーセントで、本症活動期第三期まで進行したものは31.3パーセントであつた。そして、控訴人ゆみ出生当時、浅井医師は貧血が本症の原因にもなりうることを知つており、また本症の発症率が貧血によつて増加するということも知つていた。ところで、控訴人ゆみは昭和四六年三月二二日の血液検査によると、赤血球数三〇六万、血色素五八パーセントであり、同年四月一日の血液検査によると、赤血球数一九〇万、血色素三二パーセントであつた(正常児の場合は、生後一ないし六ヵ月で赤血球数四六九万、プラスマイナス51.1万、血色素八五パーセント、プラスマイナス10.2パーセントである)。しかるに、浅井医師は貧血の治療としては輸血が最も効果的であるとしながらも、その手技が非常に難しいという理由だけで、病院内の小児科医に対し、輸血につき相談したり、連携共助を求めることをなさず、同年四月二日に鉄剤(インクレミン鉄シロップ)を投与したのみで、経過を観察した。しかし、その効果はあまり上がらず、同年五月六日の血液検査によつても、赤血球数二二九万、血色素五四パーセントとなつたにとどまつた。
2 浅井医師は産科医であつても被控訴人の病院において未熟児保育を担当する以上、単に自己の専門分野である産科的医療水準に従つて医療行為をなせば足りるものではなく、未熟児保育管理に関する小児科的医学知識、医療技術をも有すべきことが当然に要請される。したがつて、同医師の過失の有無もしくは診療契約上の債務不履行の有無を判断するにあたつては、当時における産科医一般を基準とすべきではなく、未熟児を取り扱う小児科医の水準的医学知識、医療水準を基準とすべきである。かかる観点から浅井医師のなした前記医療行為を検討すれば、同医師は控訴人ゆみの未熟児貧血という小児科的異常に関し、専門の小児科医と積極的に協議相談することなく、最も効果的な輸血を避けて、逆に効果の乏しい鉄剤投与のみに甘んじていたものである。そのために、控訴人ゆみの極端な貧血症状は、同年五月六日になつても回復せず、長期間に亘り継続したものであつて、これが控訴人ゆみの本症発症の重要な原因の一つとなつたというべきである。この点において浅井医師には保育管理上の過失もしくは診療契約上の債務不履行が存したというべきである。
二 転医義務について
1 被控訴人の病院は昭和四五年からそれまでのように未熟児を他院へ転送することをやめて自院の産科が主体となつてその管理を始めた。したがつて、同病院としては、未熟児に関する医学上の諸問題を詳細に検討し、未熟児を取り扱うべき産科・小児科・眼科の各部門が十分に連絡をとつてこれに対する方策を協議検討し、それぞれの知識と経験とを結集して万全の体制を整備すべきであつた。即ち、同病院は、経験ある医師、看護婦等のスタッフをそろえ、未熟児室、暗室設備、保育器、酸素濃度計をはじめ、倒像検眼鏡、ボンノスコープ等当時未熟児保育に必須とされていたところの設備、器材を整備して、未熟児の責任ある管理をはじめるべきであつた。しかるに被控訴人の病院では、何一つ満足な設備も陣容も経験もなしに未熟児の管理をはじめ、控訴人ゆみに対し杜撰な医療が行なわれていたのである。
2 そうすると、被控訴人としては、自院において未熟児の十全なる管理を責任をもつて遂行するに足りるだけの人的、物的整備が完了するまでは、従来どおり未熟児を他へ転院させる処置をとるべきであつた。即ち、被控訴人は控訴人ゆみを眼底検査等の適切な診断治療の期待できる医療機関、例えば名古屋市内の名古屋市立大学附属病院、名古屋大学附属病院、名鉄病院へ出生後早期に転医させるべき義務があつたものというべきである。
加えるに、控訴人ゆみの母である控訴人早苗は被控訴人の病院の未熟児保育設備が悪く、控訴人ゆみの保育器が誰でも出入りのできる産科看護婦詰所に置かれているのを見て、浅井医師に対し設備のよい病院に転医させてほしい旨の依頼をしていたのである。
3 しかるに、被控訴人は現に名古屋市内において他に適切な医療機関のあることを知つており、転医が可能であつたにもかかわらず、右転医義務に違背して、敢えて設備も悪く未熟児保育の実績も少ない自院において、経験不足の浅井医師をして控訴人ゆみの保育管理に当たらせたために、控訴人ゆみは本症を発症し、その早期発見早期治療を受ける好機を失い、これによつて失明するにいたつたのである。
このような意味において、被控訴人の右転医義務違背の所為は、控訴人らに対する不法行為ないしは被控訴人の責に帰すべき診療契約上の債務不履行に該当するというべきである。
三 設備上の瑕疵について
1 浅井医師は控訴人ゆみの出生当時可及的早期に眼底検査を行なつて本症を早期に発見し、適期に光凝固法を実施すれば失明を阻止しうることを認識し、しかも当時名古屋市内において名鉄病院と杉田眼科医院で光凝固法による治療が実施されていることを知つていた。
2 しかるに、浅井医師は右のような自己の認識・知見とは異なり、控訴人ゆみに対する眼底検査を保育器から取り出すことのできるときまで待ち、その段階で保育器から取り出した同控訴人を眼科外来まで連れ出し、新美医師に依頼して眼底検査をしてもらつたのである。そしてこのような取扱いをした理由は、浅井医師が控訴人ゆみを収容した保育器の置かれていた産科看護婦詰所には暗室の設備がないので、その場所で眼底検査を実施するのは不可能であると独断し、控訴人ゆみを眼科外来の暗室まで連れ出した場合に起りうる細菌感染その他の合併症を慮り、全身状態が少なくとも保育器から取り出すことが可能な状態に到達するまで眼底検査実施の依頼を延ばすことが必要であると考えたからであつた。
3 かくて被控訴人の病院では当時未熟児室に必要とされていた暗室設備の欠缺という設備上の瑕疵のため控訴人ゆみの眼底検査が手遅れとなつた。そして、昭和四六年五月六日の第一回検査の時点では、控訴人ゆみの本症は既に右眼がオーエンス活動期第四期に達し、左眼も第三期から第四期への移行期まで進行しており、光凝固法の適期(第三期の初期、遅くとも第三期の中期)を徒過していたため、光凝固法は不奏功に終わつたのである。これを要するに、被控訴人の前記設備上の瑕疵は眼底検査遅延の原因となつたものであるから、この点に被控訴人の過失もしくはその責に帰すべき債務不履行が存したものというべきである。
四 眼底検査と本症の発見・治療との手遅れの責任について
仮に控訴人ゆみの保育器収容場所に暗室の設備がなかつたがために、眼底検査の実施をするには控訴人ゆみを眼科外来へ連れ出さねばならなかつたとしても、何も昭和四六年四月二八日に控訴人ゆみを保育器から取り出せるに至るまで、眼底検査の実施を延期する必要はなかつた。
即ち、控訴人ゆみの保育器収容場所である産科看護婦詰所には空気清浄装置がなく、眼科外来診察室に近い程度の細菌感染のおそれがすでにあつたにもかかわらず、控訴人ゆみは十分これに耐えてきた。控訴人ゆみは同年四月六、七日頃から体温が安定し、さらに同月二一日には体重も二〇〇〇グラムに達し順調に成育していたのである。そして、浅井医師が同控訴人を同月二八日まで保育器に収容していたのは保温のためであつたから、新美医師の来院する同月二二日(木)には控訴人ゆみを保温に留意しつつ眼科外来へ連れ出して眼底検査を実施してもらうことは十分可能であつたはずである。もし右四月二二日に控訴人ゆみの眼底検査を実施しておれば、本症の早期発見が可能となり、有効な時期に光凝固手術を受け、失明を回避することができたものと考えられる。
したがつて、以上の点からしても眼底検査の遅延に被控訴人側の過失もしくはその責に帰すべき債務不履行が存するものというべきである。
(被控訴代理人の陳述)
一控訴人らの右一ないし四の各主張はいずれも争う。
二控訴人らの未熟児貧血についての主張に対する反論は次のとおりである。
1 控訴人ゆみの貧血の症状は次のとおりであつた(いずれも昭和四六年)。
三月二二日 赤血球数 血色素
三〇六万 五八パーセント
四月 一日 〃一九〇万 〃 三二〃
四月 六日 〃一九一万 〃 三六〃
四月一二日 〃一六四万 〃 三二〃
五月 一日 〃二一〇万 〃 四六〃
五月 六日 〃二二九万 〃 五四〃
控訴人ゆみの貧血症状は未熟児にみられる鉄欠乏性の貧血と思われるが、三月二一日の血便から窺われる新生児腸炎による出血も若干影響していたかもしれない。
これに対して浅井医師は輸血の必要性も考慮したが、結局輸血の処置はとらず、新生児腸炎に対しては抗生物質(リンコシン)を投与し、四月二日には鉄剤(インクレミンシロップ)を投与して経過をみることにとどめた。
2 しかしながら、そもそも控訴人ゆみの出生当時未熟児貧血が本症発症の原因となり、発症率を高めるという医学的知見が確立していたといえるかどうかまず疑問である。第一に、甲第四〇号証(「眼科」一〇巻九号中の馬嶋昭生「未熟児の眼科的追跡調査」、昭和四三年九月発行)は網膜の血液の酸素不足を来たす原因の一つとして貧血をあげているが、このような知見は眼科領域のものであつて小児科あるいは産科領域のものではない。第二に、甲第五一号証(「産婦人科の実際」二五巻三号中の馬嶋昭生「未熟児網膜症」、昭和五一年三月発行)は産科領域の文献ではあるが、昭和五一年三月一日発行のものであつて、しかも右文献は統計的資料に基づいて本症発症の因子として貧血をあげ、貧血が重症の場合には本症の発症率が高くなると指摘するだけのものである。その上右文献では輸血を実施することが本症発生の予防にいかなる効果をもたらすのか全く明らかにされていない。
結局、控訴人ゆみの出生当時小児科あるいは産科領域においては勿論、眼科領域においても、貧血が本症の原因になるという知見が確立していたといえるかどうかが疑問であるし、まして輸血が本症の予防に対して効果を有するか否かに至つては全く不明であつたといえる。そうすると、輸血を実施しなかつたことをもつて浅井医師に過失があつたということはできない。
3 のみならず、浅井医師が輸血を実施しなかつた理由は、輸血を行うこと自体が控訴人ゆみに対して負担過重となることをおそれたという点にある。即ち、輸血をするとすれば、足の伏在静脈を確保して行なうことになるが、そのためには控訴人ゆみを保育器から数十分とり出さねばならず、その際には低体温を招いたり感染症が発生して生命に危険の生ずるおそれがあることを考慮しなければならない。控訴人ゆみの場合貧血症状は重かつたが、哺乳力は悪くなく、体重も増加の傾向をみせていたのであるから、全身状態は直ちに輸血しなければ生命に危険が及ぶほど悪かつたとはいえない。したがつて、浅井医師が輸血処置の控訴人ゆみに与える負荷を考慮してこれを見合わせ、前記のように四月二日以降鉄剤を投与する方法をとつたことをもつて誤つた処置であつたということはできない。
三 眼底検査について
控訴人らは控訴人ゆみに対して昭和四六年五月六日よりも早い時期に眼底検査を実施すべきであつたと主張する。しかし、控訴人ゆみ出生の当時浅井医師が有していた眼底検査の必要性の認識の程度は、未熟児を扱う一般の産科医の水準を下まわるものではなかつたし、また当時被控訴人の病院で行なわれていた眼底検査の施行方式も、当時の一般的水準を下まわるものではなかつた。したがって、現在の知見をもつて控訴人ゆみに対してより早い時期に眼底検査を施行することが可能であつた(それが可能であつたことを示唆する浅井医師の証言は現在の知見によるものと解せられる)とみなし、そのことから眼底検査を行なうべき法律上の義務があつたとするのは妥当でない。(証拠関係)<省略>
理由
一原審提出の書証の成立に関する説示、当事者及び控訴人ゆみの臨床経過に関する事実、並びに控訴人らと被控訴人との法律関係及び被控訴人の責任(一 医師の過失の判断基準、二 本症の発生原因に関する通説的見解、三 控訴人ゆみに対する酸素投与につき担当医の過失の存否、四 眼底検査義務と本症の有効な治療方法との関係、五 ステロイドホルモンの投与の有効性、六 光凝固法の有効性、七 昭和四六年二月当時における光凝固法に関する知見の普及程度、八眼底検査の普及程度と眼底検査義務)に関する当裁判所の認定判断は、次に訂正・付加する外、原判決の認定判断(原判決七三枚目表二行目から同一〇四枚目表四行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。
1原判決七三枚目裏五行目の「七号証、」の次に「原審及び当審」を加え、同じ行の「同新美勝彦」を「原審証人新美勝彦」と、同七行目の「出産」を「出生」とそれぞれ改め、同一〇行目の「そして、」、同七四枚目表三行目の「また、」の次にいずれも「原審」を加える。
2原判決七七枚目裏二行目と三行目の間に、行を変えて、
「 もつとも、具体的事案において医師が当時の医療水準を超える知識を身につけていた場合には、当該医師の知識に基づく医療水準を基準にして過失の有無が検討されなければならない。けだし、およそ医師たる者は人の生命及び健康を管理する上で最善の注意義務を尽すことが要求されているのであるから、自己の知識に基づく医療水準を基準にすれば適切な医療行為をなしえたにもかかわらず、当時の医療水準に従つた結果、十分な医療がなされず、このため人の生命または健康が害されたという場合にまで、当該医師に過失がなかつたと判断するようなことは、条理上容認されるべきことではないからである。」
を、同七行目の「当該医師の」の次に「知見の程度、その」をそれぞれ加える。
3原判決八〇枚目表七行目の「いが、」の次に「前記認定事実によれば、」を、同裏一行目の「せしめており」の次に「原審」をそれぞれ加える。
4原判決八四枚目表二行目、同八五枚目裏三行目の各「天理病院」をいずれも「天理よろづ相談所病院」と改め、同八四枚目表七行目の「特発性呼吸障害症候群の」の次に「未熟」を、同八七枚目裏九行目の「日目」の次に「当院」をそれぞれ加える。
5原判決八九枚目裏七行目の「第五五号証の二」を「第五五号証の一、二」と改め、同八行目の「第八七号証、」の次に「原審」を加える。
6原判決九二枚目裏四行目の「第四六号証、」の次に「第五三号証、」を同六行目の「第八〇、」の次に「第八六、」をそれぞれ加え、同九三枚目表三行目の「昭和四三年」を「昭和四二年」と、同四、五行目の「昭和四五年」を「昭和四四年」とそれぞれ改め、同六行目の「(昭和五〇年報告)」の次に「、第三期中期(昭和五一年報告)」を、同九四枚目表五行目の「第三期」の次に「で進行の徴候が見られる時」をそれぞれ加える。
7原判決九四枚目裏一〇行目の「第一〇〇号証、」の次に「原審」を加え、同九六枚目表七、八行目の「天理病院」を「天理よろず相談所病院」と改める。
8原判決九九枚目裏七行目の「第二三、」の次に「第四二ないし第四五、」を加え、同一〇〇枚目裏二行目の「眼科」を「小児科」と改める。
9原判決一〇二枚目表七行目の「第四五、」の次に「第四七、」を同末行の「三号証、」の次に「原審及び当審」をそれぞれ加え、同じ行の「同新美勝彦」を「原審証人新美勝彦」と、同裏末行の「でああり」を「であり」と、同一〇三枚目表七行目の「天理よろず相談所病院」を「天理よろづ相談所病院」とそれぞれ改める。
二 担当医の過失の存否
ところで、具体的事案において担当医が当時の医療水準を超える知識を有していた場合に、当該医師の過失の存否を判断するに際しては、前示のとおり、単に当時の一般的医療水準に従つて判断すれば足りるものではなく、当該医師の知見の程度、その置かれた社会的、地理的その他の具体的環境等諸般の事情を考慮した具体的医療水準を考慮して具体的に判断されるべきであるから、以下この見地に立つて、本件における担当医の過失の存否について判断を進めることとする。
1 担当医の知見の程度
<証拠>によれば、次のような事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
控訴人ゆみの担当産婦人科医である浅井保正医師は、昭和四一年三月名古屋大学医学部を卒業し、同年四月より一年間同大学医学部附属病院でインターンをした後、昭和四二年三月同病院産婦人科医局に入局し、同年一一月医師国家試験に合格して医師の免許を受け、医師の資格を取得した。そして浅井医師は同月より昭和四六年六月まで被控訴人の病院に産婦人科医師として勤務するようになり、同年七月同大学医学部産婦人科教室副手、昭和五〇年一一月同助手となり、昭和五一年三月医学博士となつた。浅井医師は控訴人ゆみが出生した昭和四六年二月当時、(1)未熟児網膜症といわれる眼疾患があり、病変が途中で自然寛解することなく進行すれば失明に至る場合があること、(2)本症は酸素を多量に投与することにより発症するものであること、(3)そこで本症の発症を予防するためには、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑えるのがよいといわれているが、四〇パーセント以下であつても未熟児の呼吸機能が向上すれば、動脈血中の酸素分圧が上昇するので、本症の発症する場合があること、(4)貧血は本症の増強因子となりうること、(5)本症の治療法としてステロイド療法と光凝固法が存在すること、(6)名古屋地区では名鉄病院と杉田眼科医院が本症の治療のため光凝固法を実施していたこと、(7)適切な治療をするためには本症を早期に発見する必要があるが、そのためには可及的早期に眼底検査を実施するのが唯一の方法であり、可及的早期とは生後二、三週間目を意味すること、以上の事実をすべて知つていた。そして、同医師は、光凝固法は未熟児の身体に相当程度の負担を与えるものであるとはいえ、熟達の眼科医師が適期にこれを実施すれば、本症の進行を阻止する効力を有するものと理解していたが、従来本症に罹患した未熟児を取り扱つた経験はなかつた。
昭和四六年五月六日控訴人ゆみの眼底検査を実施した新美勝彦医師は、昭和三五年六月医師免許を取得し、名古屋大学医学部附属病院眼科医局に勤務し、昭和四八年六月に名古屋保健衛生大学眼科教室の助教授となつたが、そのかたわら、昭和四二年頃より昭和五〇年四月まで被控訴人の病院眼科の非常勤嘱託医として勤務した。新美医師は名古屋大学医学部附属病院眼科において、昭和四一年頃から未熟児の眼底検査を実施し、昭和四五年頃から本症に対し光凝固法を実施してきた経験を有し、昭和四六年二月当時本症に対する光凝固法の有効性を信じていた。
2 被控訴人の病院における未熟児の保育管理
<証拠>によると、次のような事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
昭和四六年当時における被控訴人の病院の産婦人科医師は松浦医長と浅井医師の二名であり、同科のベット数は約二〇、同科担当の看護婦は約一〇名であつた。同病院では、生下時体重一五〇〇グラム以下の極小未熟児は従来他院へ転送していたが、昭和四五年から産婦人科が主体となつて自院で管理するようになつた。当時未熟児を収容する保育器は二台あつたが、一台は旧式であつたため、双生児の第一子である控訴人ゆみは第二子とともに新式の一台(V―五五型・アトム未熟児保育器)に収容された(第二子は出生の翌日に死亡)。産婦人科では、未熟児をその責任において管理するのを原則とし、特別の事由があるときに限り小児科の指示を求めていた。同病院には未熟児室がなかつた上当時建物が改築中であつたためもあつて、保育器は産婦人科看護婦詰所に置かれていた。保育器を開けると室の空気が流入するが、看護婦詰所にはエアコンディションの設備はあつたものの、空気清浄の装置はなく、そこに出入りする看護婦は入院患者に接した後もガウンを着替える等の配慮をしていなかつた。保育器には酸素の流量計はあつたが、酸素濃度を測定する濃度計も動脈血酸素分圧の測定器もなかつた。同病院では、昭和四五年頃より未熟児の眼底検査をはじめたが、その方法としては、未熟児を保育器から取り出した段階において、眼科に眼底検査の依頼をし、眼科外来診察室まで未熟児を連れて行き、同所の暗室で眼底検査を受けさせるのを慣行としていた。
昭和四六年当時における被控訴人の病院の眼科医師は、常勤医一名と非常勤の新美医師との二名であつた。新美医師は昭和四二年頃より毎週木曜日の午後だけ被控訴人の病院眼科に診察のため来院していた。未熟児の眼底検査を実施しうる技術を有するのは新美医師のみであつたので、産婦人科から依頼があると、新美医師は出勤した日に被控訴人の病院の眼科外来診察室内の暗室で、倒像検眼鏡やボンノスコープがなかつたため、反射鏡と電気スタンドを使つて未熟児の眼底検査を実施した。眼底検査をするには散瞳剤を点眼する必要があり、その薬効が現われるまでに三、四十分かかるが、眼底検査そのものに要する時間は両眼で約一〇分である。
3 転医の依頼
原審における控訴人長田早苗本人尋問の結果によると、次のような事実が認められ、この認定に反する当審証人浅井保正の証言は前掲証拠と対比して信用できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
控訴人早苗は昭和四五年頃より本症が発症すると失明する危険があることを知つており、控訴人ゆみが出生した四、五日後に浅井医師に対し未熟児には目やその外の点にいろいろ障害がでるので大きい病院に転医してもらいたいという話をしたが、浅井医師は悪いようにしないから病院に任せるようにと答えた。控訴人ゆみは現在愛知県立名古屋盲学校に通学し、両眼とも失明している外は大変朗らかで通常児と変わりがない。
4 控訴人ゆみの眼底所見
<証拠>によれば、次のような事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
新美医師は浅井医師の依頼により昭和四六年五月六日午後控訴人ゆみの眼底検査を実施したところ(前認定のとおり、浅井医師は同年四月二八日に眼底検査の依頼をしたが、新美医師の直近の来診日である同月二九日は祭日で休診日であつたため、眼底検査は次週に持ち越された)、控訴人ゆみは両眼とも本症に罹患しており、オーエンス活動期の分類に従えば、右眼は第四期の初め、左眼は第三期から第四期への過渡期という診断を下し、浅井医師に対し直ちに光凝固手術を受けさせるのが最適であると指示した。そこで浅井医師は控訴人豊及び同早苗と連絡をとつてその旨を告げ、控訴人ゆみを名鉄病院に転送の上光凝固手術を受けさせるについて承諾を得た。控訴人ゆみは同年五月八日一旦被控訴人の病院を退院し、同日浅井医師の紹介により名鉄病院において田辺医師の眼底検査を受けたところ、田辺医師は右眼はオーエンス活動期の第四期、左眼は第三期ないし第四期と、新美医師の診断結果とほぼ同様の診断を下した。しかし、左眼については同月六日には新生血管の増殖だけであつたのが、同月八日になると網膜剥離も発生していた。田辺医師は右眼は時期を失しているが、左眼はあるいは成功するかもしれないと判断して、光凝固法を施行することに決定し、控訴人ゆみは同月一〇日名鉄病院に入院した。田辺医師は同日も眼底検査を実施したが、二日前と大きな変化はなく、右眼については網膜剥離が少し進行し、左眼については増殖組織が多少増加したという程度であつた。田辺医師は同月一四日控訴人ゆみに対し光凝固手術を施行し、右眼に二三発、左眼に四〇発凝固したが、手術は両眼とも不成功に終つた。手術の際の眼底所見は同月一〇日の際と大差はなかつた。田辺医師は同月二五日もう一度光凝固手術を施行しようと決意し、同月二七日眼底検査をしたところ、本症の病変が最終段階にまで達していたため、もはや無意味と考え、手術を中止した。
なお、控訴人ゆみの本症のタイプに関して、田辺医師は自己のなした眼底検査の所見のみではⅠ型かⅡ型か判定困難であるとしているが、新美医師は自己のなした眼底検査の所見と田辺医師作成のカルテに記載された眼底の略図とを比較すると、Ⅱ型に近いとしながらも、五月六日の一週間か一〇日前であれば光凝固法の適期であるオーエンス活動期第三期の初めか中期であつたかもしれないと判断している。
5 浅井医師の過失について
右1ないし4において認定した事実及び前認定の控訴人ゆみの臨床経過に基づいて浅師医師の過失の存否について検討することとする。
(一) 控訴人ゆみの本症がⅠ型、Ⅱ型、混合型のいずれに該当するのかは本件証拠によつて確定することはできないが、本症の発見されたのが出生後九二日目で酸素投与停止後八四日目であること、田辺医師は第一回目の光凝固手術で功を奏しなかつた一一日後にも再び光凝固手術を試みようと考えたこと、新美医師は最初の眼底検査がなされた五月六日の一週間か一〇日前であれば光凝固手術の適期に間に合つていたのではないかと考えていることを総合して判断すれば、控訴人ゆみが四月中に眼底検査を受け、光凝固手術の可能な時期に本症の発症を発見され、適期に光凝固手術を施行されていたとすれば、失明という最悪の事態を回避しえた蓋然性は相当高いものと認むべきである。
更に、<証拠>によれば、名古屋市立大学眼料の馬嶋医師は同大学附属病院未熟児病棟で管理された臨床例からすれば、本症は大部分が生後一五日目から五五日目までに発症すると記していることが認められるので、以上の認定判断を総合すれば、結局、控訴人ゆみは本症に罹患しているのにその発見が遅れたため失明するに至つたものというべきである。
(二) ところで、浅井医師が控訴人ゆみが出生した昭和四六年二月当時前記1の(1)ないし(7)の事実を認識していたことは前示のとおりである。したがつて、同医師が出生後八四日目に該当する同年四月二八日に保育器から取り出すまで控訴人ゆみの眼底検査を新美医師に依頼しなかつたことは、眼底検査を遅らせたことについての合理的な理由が存しない限り、浅井医師の責に帰すべき怠慢であるといわなければならず、同医師の右過失と控訴人ゆみの失明との間には因果関係が存するものと認めなければならない。浅井医師がそれまで未熟児網膜症の発症事例に遭遇しなかつたこと、被控訴人の病院では未熟児の眼底検査は保育器から取り出す段階で新美医師に依頼してなされていたのが慣例であつたことを考慮に入れても、右の判断を左右することはできない。
そこで、さらに浅井医師に右のような合理的理由が存したか否かについて判断する。
(三) 被控訴人は、未熟児の管理にあたつては、先ずその生命を救うことを考え、次いで脳性小児麻痺を防ぐことを考えるべきであり、末熟児網膜症を防止することは第三に配慮すべきことである旨を主張する。そして、浅井医師は、原審及び当審において、昭和四六年四月二八日まで眼底検査を新美医師に依頼しなかつた理由として、控訴人ゆみは(1)体温が低く、(2)体重も軽くて一般状態がよくなかつた上、(3)貧血が強度であつたため、(4)保育器から取り出して眼科外来診察室へ連れて行くと細菌感染のおそれがあつたので、被控訴人主張のような順序で管理に注意を払つていた旨供述するので、以下順次これらの点について検討することとする。
<証拠>によると、次のような事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
控訴人ゆみの体温は出生後昭和四六年三月二二日頃まで三五度以下の低体温の日が大部分であつたが、次第に上昇し、同年四月六日過には正常体温を維持できるようになつた。体重は、生下時一三〇〇グラムであつたが、同年二月二〇日には一〇〇〇グラムまで低下し、以後漸増して同年四月八日一六二〇グラム、同月一五日一八三〇グラム、同月二一日二〇〇〇グラム、同月二二日二〇三〇グラム、同月二八日二三二〇グラムとなつた。浅井医師は体重が二〇〇〇グラムを超えた場合呼吸機能が正常であれば保育器から出してよいと考えていた。貧血については、同年三月二一日控訴人ゆみに血便が発見されたので血液検査をしたところ、白血球数八〇〇〇、赤血球数三〇六万、血色素五八パーセントで強度の貧血状態を示していた(<証拠>によれば、正常児の場合生後一ないし六カ月で赤血球数四六九万、プラスマイナス51.1万、血色素八五パーセント、プラスマイナス10.2パーセントであることが認められる)。浅井医師は血便の原因として腸炎を疑い、同月二二日から同月二四日までリンコシン(抗生物質)各三〇ミリグラムを注射した。そして同月二三日便培養の上細菌検査をしたが、異常がなく、同月二五日潜血反応検査をしたところ、極少量の出血が判明したが、さしたる異常は認められなかつた。しかし同年四月一日再度血液検査をしたところ、白血球数八〇〇〇、赤血球数一九〇万、血色素三二パーセントで貧血状態がさらに進行していることが判明した。そこで浅井医師は輸血も考慮したが、控訴人ゆみの手足の動きに異常が認められなかつたため、輸血により控訴人ゆみに与える負担を憂慮して同月二日以降インクレミン鉄シロップ(造血鉄剤)を投与して経過を観察することにしたが、同月一二日の血液検査でも赤血球数一六四万、血色素三二パーセントと症状は好転しなかつた。このような貧血症状について、浅井医師は安静にしている限り呼吸困難になるほど危険な状態ではないが、余病を併発した場合致死的因子になりうる場合があると理解していた。もつとも、控訴人ゆみの貧血状態は同年五月に入つてやや好転したというものの、同月六日の血液検査で白血球数五七〇〇、赤血球数二二九万、血色素五四パーセント、同月二四日の血液検査でも白血球数七〇〇〇、赤血球数三三〇万、血色素五六パーセントと低水準にとどまつていた。なお、控訴人ゆみは同年四月一一日より同月一四日まで鼻汁を出し風邪気味であつたが、同月一五日には鼻汁を出さなくなつた。
右に認定した事実に基づいて判断すると、控訴人ゆみの体温の点に関しては、昭和四六年四月六日以降は保育器から出しうる状態にあつたと考えられ、体重の点に関しては、同月二一日以降は保育器から出してもさして懸念すべき状態ではなかつたと考えられるけれども、貧血の点に関しては、確かに慎重に対処すべき状態であつたと考えられる。しかしながら、右の状態は同月二八日の時点においてもさほど好転していたとは思えないのに、浅井医師はその時点で保育器から出してよいと判断していること、控訴人ゆみが眼底検査を受け名鉄病院で光凝固手術を受けるため被控訴人の病院を退院した後も、正常児の場合と比較すれば、貧血状態は依然として低水準のまま推移していることはいずれも前認定のとおりであつて、これらの点から見ると、浅井医師は、前記趣旨の証言にもかかわらず、控訴人ゆみを保育器から出してよいか否かを判断するに当たり、その貧血状態が好転しなかつたことをあまり重視していなかつたことが窺えるのである。また、散瞳剤の点眼を保育器内ですれば、眼底検査そのものに要する時間は両眼で約〇分にすぎないものであること、控訴人ゆみが収容されていた保育器は空気清浄装置のない産婦人科看護婦詰所に置かれていたことも前認定のとおりであるから控訴人ゆみは浅井医師の危惧にもかかわらず細菌感染に対しある程度抵抗力を有していたことが窺われる。したがつて、細菌感染のおそれも控訴人ゆみを保育器から出すことを躊躇させる決定的な理由とは認め難い。
右に検討した諸点を考慮すれば、眼底検査後再び保育器に収容するかどうかはともかくとして、浅井医師さえその気になれば、遅くとも同年四月二二日には、また場合によれば同月一五日においてさえも、新美医師に依頼して眼科外来診察室の暗室において眼底検査を受けさせることが可能であつたと認めるのが相当である。そしてこの機会に眼底検査を受けておれば、控訴人ゆみは本症に罹患していることが発見され、時期を失することなく光凝固手術を受けることが可能となり、失明を免れえた蓋然性が大であつたと認められる。
被控訴人は、未熟児の管理にあたつては、まず生命、次に脳性小児麻痺、さらに未熟児網膜症という順序で配慮をすべきであると主張する。しかし、前記判断に従えば、控訴人ゆみの生命及び脳性小児麻痺に対する危険がさし迫つたものであつたとは到底考えられない。しかも、未熟児網膜症が悪化して失明することになれば、本人や両親が生涯逃れることのできない悲惨な運命を背負い込むことになることを考えると、未熟児の保育管理に当たる医師としては、生命を救い脳性小児麻痺を回避すればそれで十分であるというのではなく、未熟児を失明の危険から守るということにも細心の注意を払うべき義務があるというべきである。
以上において検討してきたところを総合すれば、浅井医師が控訴人ゆみの眼底検査を遅らせたことについて合理的な理由を見出すことはできず、同医師には、未熟児の保育管理を担当する医師として、酸素投与をした未熟児について早期に眼科医に眼底検査を依頼し、本症の発見に努めるべき注意義務に違反した過失があるといわなければならない。
6 新美医師の過失について
前記124において認定した事実に基づいて新美医師の過失の存否について判断をする。
新美医師は浅井医師の依頼に基づいて昭和四六年五月六日控訴人ゆみの眼底検査を実施し、控訴人ゆみが本症に罹患しているのを発見したのであるが、被控訴人の病院における未熟児管理の態勢、新美医師の勤務形態からすれば、控訴人ゆみの本症罹患の発見が遅れたことについて新美医師に過失があつたということはできない。また、新美医師が浅井医師に対し光凝固手術を受けさせることを指示し、その結果控訴人ゆみは名鉄病院において光凝固手術を受けたことについて新美医師の医療上の指示に遺漏があつたということもできない。
もつとも、新美医師の方であらかじめ積極的に産婦人科に働きかけ、早期かつ定期的に未熟児の眼底検査を実施しておれば、本症罹患の発見が早期になされたであろうことは期待できるけれども、前示のような当時の医療水準からすれば、このような未熟児管理態勢をとらなかつた点について、新美医師に過失があつたということはできない。
したがつて、新美医師には債務不履行ないしは不法行為上の過失がなかつたものと認めるのが相当である。
7 結び
以上によれば、被控訴人は浅井医師の過失により蒙つた控訴人らの損害について、控訴人らとの間の前示準委任契約(診療契約)の不完全履行により、もしくは浅井医師の使用者(同医師が被控訴人の被用者であることは弁論の全趣旨により明白である)として、民法七一五条に基づき、これを賠償すべき責任を有していることが明らかである。
三 控訴人らの損害について
1 控訴人ゆみの逸失利益
前示のとおり、控訴人ゆみは昭和四六年二月四日出生の女児であるが、同年五月両眼とも失明した。控訴人ゆみは本件医療事故がなければ順調に成育し、一八歳から六三歳まで稼働して収入を得たであろうと推認されるところ、甲第六三号証(総理府統計局編集の第二四回日本統計年鑑)によると、昭和四七年における愛知県の常用労働者三〇人以上の事業所での常用労働者一人平均月間給与額は金九万八〇〇〇円であることが認められるから、その一年分は金一一七万六〇〇〇円となる。控訴人ゆみは全盲であるから、その労働能力は全部喪失しているものというべきであり、右一年分の給与額を基礎に年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除して逸失利益の現価を計算すると、金一八二〇万円になる(円未満切捨て)。
(算式)
(年間給与額)×(ホフマン係数・63年−18年)
1,176,000円×(28.0865−12.6032)=18,208,360円
しかしながら、控訴人ゆみの未熟児網膜症は同人が極小未熟児として出生したため網膜の未熟性が素因となり、生命維持のためやむを得ず必要最小限度でなされた酸素投与が誘因となつて発症したのであるから、このような事情は損害賠償法の基礎にある公平の原則に立脚すると被害者側の事由として考慮すべきであり、被控訴人に負担させるべき逸失利益を算定するに当たつては、同じく公平の原則に立つ過失相殺の法理を類推適用して、その五割を減額すべきものと認めるのが相当である。
したがつて、控訴人ゆみが被控訴人に対し請求しうる逸失利益は金九一〇万円となる。
2 慰藉料
控訴人ゆみは生後間もなく本症に基づく両眼失明により一生視覚を奪われた状態で生活を続けざるを得なくなり、社会生活はもとより日常生活の面でも多大の不便を強いられる悲惨な境遇にあることを思えば、その精神的苦痛が甚大であることは容易に理解できる。また、その両親である控訴人豊及び控訴人早苗の胸中も察して余りあるものがある。しかしながら一方、前示のとおり、控訴人ゆみの本症は同人の網膜の未熟性が素因となり、やむなくされた酸素投与が誘因となつて発症したものであり、第二子は死亡したが、控訴人ゆみはともかく生命を維持し得、脳性小児麻痺に陥ることもなく今日に至つていることからすれば、浅井医師の努力も相当に評価しなければならないこと、また、眼底検査の依頼は昭和四六年四月二八日になされたが、新美医師の直近の来診日と体診日とが重なつたため、その実施が同年五月六日まで延引されざるを得なかつたこと、その他本件証拠にあらわれた諸般の事情を考慮すると、控訴人らの精神的苦痛を慰籍すべき金額は、控訴人ゆみにつき金五〇〇万円、控訴人豊及び控訴人早苗につき各金二〇〇万円と認めるのが相当である。
3 弁護士費用
前示のとおり控訴人らは不法行為に基づいても被控訴人に対しその蒙つた損害の賠償をなしうるところ、不法行為に基づく損害賠償を請求する被害者が自己の権利擁護のため訴を提起することを余儀なくされ、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、その弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り右不法行為と相当因果関係に立つ損害と解すべきところ、右の諸事情を考慮すれば、控訴人ゆみについては金一四〇万円、控訴人豊及び控訴人早苗については各金二〇万円が本件不法行為と相当因果関係に立つ弁護士費用としての損害と認めるのが相当である。
四 結論
以上の次第で、被控訴人は本件債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、控訴人ゆみに対し金一五五〇万円、控訴人豊及び控訴人早苗に対し各金二二〇万円及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年三月二八日より支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負担しているというべきであるから、控訴人らの被控訴人に対する本訴請求は右義務の履行を求める限度で正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却すべきである。
したがつて、右と一部異なる原判決はその限度で不当であるから、原判決を右の趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条本文、九二条本文、九三条一項本文、八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(秦不二雄 井上孝一 喜多村治雄)